手毬唄ここのつ十はさびしけれ  能村登四郎

《てまりうたここのつとおはさびしけれ》

 季題は<手毬唄>で新年。かつての日本では羽子つきや独楽まわし、歌留多、双六などと共に手毬をつくことも新年の遊びだった。美しい糸を交叉させてさまざまの模様に絡げ上げた毬は、見ているだけでも楽しい。毬をつく時に歌うのが手毬唄で、それぞれの土地で古くから歌い継がれているものである。多くはひとつ、ふたつ、みっつと、数え歌になっている。
 
 幼い時には大人から口移しに習った歌だから、その意味まで深く考えて歌うものではない。しかし、大人になってから意味を汲んで歌ってみると、わらべ唄や子守唄には悲しいことをいっているものが多い。この手毬唄、具体的にはどんな歌詞かわからないが、ひとつ、ふたつあたりは明るく他愛のないものなのだろう。「ここのつとお」と最後の方になってくると、つくづく悲しいことを歌っているよ、と気づいた時の句。 <和子>



 私は男ばかりの三人兄弟だから雛人形とか毬つき遊びには全く無縁に過ごした。しかし、季題としての「雛」や「手毬唄」は、他のどの季題よりも心をひかれるように思う。さすがに手毬をついたという句はないが、手毬はその模様が好きで、飾りとしていくつも持っていたこともある。

 昔から女の子の遊びとして手毬はどんな山里でも行われていた。家が貧しくて子守などに出された少女が、みどり子を背負いながら一生懸命についている様子など、どこの町でも見られた風景に違いない。毬をついて遊んでいるうちはよいのだが、少女にとって親元を離れて他郷で働くのはさぞ辛いことだったろう。そんなことからも、手毬唄の文句はどうしても哀愁を帯びてくる。

 この句の「ここのつ十」あたりも、そんな少女の悲しみがうたわれているのかもしれない。
虚子に<手毬唄かなしきことをうつくしく>の一句がある。 <克巳>
   昭和63年作。句集『菊塵』所収。 
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by chi-in | 2008-01-04 01:14 | 新年の句
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