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口曲げしそれがあくびや蝶の昼   清崎敏郎

 季題は「蝶の昼」で春。「長男直彦誕生」という前書のある句である。
 昭和32年、この年に生まれた長男の直彦を、父親のまなざしでじっと見守っている作者。眠りからなかば覚めたのか、赤ん坊の口元が動いて小さく歪んだ。それが欠伸であったという発見は、父親の小さな命へのいつくしみの気持にほかならない。
 作者はこのときすでに35歳であるから、若い父親というわけではない。しかし、それゆえにこそ、自分の生命をわかち与えた愛児に対する思いは深いのである。
 その後、次男の明彦が生まれ、敏郎は二人の男児の父となる。しかし、長男の直彦がやがて35歳の若さでこの世を去るという運命が待ちうけていたなどと、誰が想像しただろう。
 なお、この句の季題は荘子の「荘周の夢」に由来するという西村亨氏の指摘は正鵠を射ている。<克巳>



 我が子が誕生した時の作にしては、何かもの足りないような気がしたものだが、母親とは違う父親の感慨が滲み出た作品であることに気づいた。
 生まれたばかりの赤ん坊を目の前にして、父親というものはまだ我が子という実感が湧かないものだそうだ。母親は、理屈なしに我が子を実感できるものだが。そんな赤ん坊を、じっと眺めていたら、口を曲げた。あ、今のがあくびだったのだという思いが、じわりと伝わって来る句の調子である。父親になった喜びが託されているのが「蝶の昼」であることは言うまでもない。
 赤ん坊が大切に寝かされている室内から、春の訪れを告げわたる蝶の庭へと、視線が移されてゆく。明るい幸福感に満ちた句。「虚子先生に讃められた唯一つの句である」と自註にある。<和子>
   昭和32年作。句集『島人』所収。
by chi-in | 2007-04-24 16:22 | 春の句
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