季題は<秋淋し>で秋。「秋思」から派生した語と思われるが、比較的新しい季題。
<秋淋し綸(いと)をおろせばすぐに釣れ 万太郎> あたりから使われはじめたものであろうか。 サキソホンの低音の咽び泣くような音を、人の声のようだと聞きなすのは、ことさらの発見でもない。しかし「人の声音の」とはっきり言いきっているところに、切れ味のよさがある。人声のごとき、とか、人声に似る、とかいった遠慮がちの比喩ではこの味は出ない。隠喩の強みをもった句。 この作者の句に、 <春愁のロマンチストとニヒリスト> という若い頃の作がある。掲句を見る限り、作者は前者に属しているようだ。こんな句も遺している。 流れ星心を奪ひ消えにけり 赤々と氷苺や筒井筒 まさ、おふうなどといふ名や翁の忌 忍ぶとも偲ぶとも宛文字涼し <和子> 杉本零は、明るい話好きの都会派でありながら、反面そこはかとない憂愁を感じさせるような人であった。秋の日の午後でもあろうか……。熱心に話し続ける相手にときどき相づちを打ちながら、作者の思いは相手の話の内容からふっとそれてしまった。話の実態から意味性がふっと消え失せてしまったのである。友人のよくとおる低音の声音だけが心に響いてくる。そしてその声音は何も意味をなさない。サキソホンのようにただ響く音……。 「秋思」とはやや異なった季題である「秋淋し」から、私たちはさまざまな秋を思い浮かべることができる。人の声音をサキソホンのような響きと感じた零のさびしさもそのひとつである。 <克巳> 昭和30年代作。句集『零』所収。
by chi-in
| 2006-10-24 14:36
| 秋の句
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