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蹝いてくるその足音も落葉踏む       清崎俊郎



  《 ついてくるそのあしおともおちばふむ 》



 季題は〈落葉〉で冬。第4句集『系譜』の歳月の間に、作者は富安風生を失い、その結果として「若葉」の主宰を継承した。このことによって、作者が虚子、風生から受け継いだ花鳥風詠と客観写生という作句信条を、いっそう明確にする必要が生じたということになる。

 落葉を踏みつつ歩きながら、作者は自らの足音にじっと聴き入っている。自分の跡に従って来る者もまた同じように落葉を踏む音をたてている。師から引き継いだ俳句を、更新の者たちに伝えてゆかねばならぬ、という思いは、彼の背を見つつ歩く者にも強く伝わってくるのである。

 この一句を『系譜』という作品集の掉尾に置いた作者の思いは深い。  ( 克巳 )



 創作とは本来、孤独なものだ。俳句は「連衆の文芸」とか「座の文芸」といわれ、句座を共にする仲間に支えられている部分が大きいが、それは享受する形態がそうなのであって、いわゆる共同製作ではない。たとえ吟行を共にしていても、あくまでも作品は一人一人が心のうちで作り出してゆくものだ。大勢で一緒に旅をしても、創作には「ひとり心」というものが大切だ。

 私はこの句に、そうした創作者の孤独を感じる。落葉を踏んで歩む作者自身の孤独感を表わしているのが、落葉踏む音である。そして、後ろから蹝いて来る者の孤独感をも感じとっている。

 声をかけるでもなく、励ますでも慰めるでもない。隣り合う孤独といったような、心の響き合いを感じるのが、創作の道を選んだ師弟関係ではなかろうか。私もまた、師のあとを蹝いて落葉を踏んで歩む一人である。   ( 和子 )


  昭和59年作。句集『系譜』所収。
by chi-in | 2011-11-09 20:13 | 冬の句
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