一生の楽しきころのソーダ水    富安風生


  《 いっしょうのたのしきころのそーだすい 》


 季題は〈ソーダ水〉で夏。いわゆる炭酸系の清涼飲料を幅広くいう。現代では自動販売機で缶入りのものがどこでも手軽に飲めるが、この句の場合は喫茶店風景であろう。下に行くほど細くなる、底の深いしゃれた感じのグラスに、薄緑色の液体が泡を立て、それを飲んでいるのは娘たち。

 十代後半から二十代にかけての娘等が話しているのは、他愛のないことどもだ。いわゆる「箸が転げても可笑しい年頃」。それを「一生の楽しきころ」と表現しているところに、作者の年齢と、やさしいまなざしと、懐かしさとが感じられる。一生がほぼ見えてきた年代にしかいえない言葉である。

 当の少女達は、今が一番楽しい時期だとは思っていない。試験だってあるし、友人関係の悩みも尽きない。将来に対する不安も抱いている。しかし、その頃をとっくに過ぎてしまった作者から見れば、あの年頃は人生に何の屈託もなく、面白いことが沢山あったと、懐かしく思われるのだ。  ( 和子 )



  〈 娘等のうかうかあそびソーダ水 〉 (昭和8年) 

という星野立子の句がすぐ思い出される。風生の句は、ソーダ水を吸い上げては何やらひそひそと話をしては笑い声を立て、また内緒話を続けている少女達を、ある年齢を過ぎた大人の目から見たものであるが、立子の句には同性としての反省がちょっぴり加味されている、といえよう。

 若い時には、無条件で楽しいことが確かにあった。それはもともと健康で若さがあり、恐れる何ものもなく、忍従すべきこともない時代であったからなのだ。そう思うことができるのは、それ相応の経験を経ないと無理な話なのかも知れない。  ( 克巳 )


 昭和22年作。 『朴若葉』所収。
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by chi-in | 2011-08-05 20:40 | 夏の句
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