たましひのたとへば秋のほたるかな   飯田蛇笏


 《 たましいのたとえばあきのほたるかな 》


 季題は〈秋のほたる〉。「芥川龍之介氏の長逝を深悼す」という前書がある。
 亡き人の魂魄はたとえてみれば秋の蛍のように薄く青白い光を曳いて闇の中に消えてゆこうとしている―――。
「たとえば」は、むしろそれ以外の何ものでもない、という断定の響きをもつ。すぐれた作家にして己れの俳句の理解者でもあった龍之介の霊に対する衷心からの悼み心というべきだろう。
 蛇笏には人の死を詠じた句が多い。肉親の死、婢の死、そして友人の死、等々。多くの死を詠いながら蛇笏の詩心はあくまで冷静に現実を見続けている。

   なきがらや秋風かよふ鼻の穴      蛇笏

は、下僕の老母の死に際して詠まれた句であるが、この冷徹ともいうべき描写のゆるぎなさは、セザンヌの絵の冷たさにも通じるように思う。    ( 克巳 )



 〈秋のほたる〉は〈残る蛍〉〈病む蛍〉ともいって、既にあまり飛ぶ元気はない。この句の蛍の光跡は、最後の動きと見るべきだろう。秋の蛍の、はかなげに消え入る様が、長逝を悼む思いには、別れを告げに来た魂として思い浮かべられたのだ。
 芥川龍之介が逝ったのは盛夏の七月二十四日。従ってこの句は想像の作である。しかし全くの空想ではなく、かつて目にした秋の蛍のありようが、作者の心にはしっかりと刻まれている。季題を知りつくしていると、このような詩的飛躍もできるのだ。
 この句、音読してみると、「たましひの」の上五でいったん、ゆるやかな切れがあることに気づく。魂そのもののたゆたいと、亡き人の霊を追想する思いとが、上五の語調に乗せられ、やがて秋の蛍の光と共に、この世のほかへと誘われてゆく―――、そんな心のたゆたいを味わいたい。   ( 和子 )


   昭和2年作。  『山廬集』所収。
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by chi-in | 2009-07-31 19:56 | 秋の句
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