雪解川名山けづる響かな    前田普羅


  〈 ゆきげがわめいざんけずるひびきかな 〉


 季題は〈雪解川〉で春。「雪解川」「名山」そして「響き」と、重厚なひびきをもった名詞が連なる、格調の高い一句である。「名山」は名高い山ということで、特定する必要がないので漠然とこのように言い放ったのだ。一冬かけて山国に積もった雪が、解けはじめる春先は、山々にとってまた新しい季節の到来でもある。

 山肌を深々とえぐって流れ落ちる雪解川の水量にははかり知れないエネルギーが秘められている。そのような莫大な質量に対し、決してひけを取らない普羅の作句に対する姿勢というものが感じられる一句である。   ( 克巳 )



 この句はまさに簡素にして雄勁といえよう。「名山」の呼称がいい。読み手はそれぞれの心の中に浮かぶ堂々たる名山を特定すればよい。身をけずって流す雪解の水は、年々その容貌を厳しく、近寄り難いものにするに違いない。この句を見ていると、名山の相は、一日にして成るものではないことに思い至る。

 普羅は「地貌」というものに非常な興味を抱いていて、それは「地球自らの収縮と爆発と、計るべからざる永い時てふ力もて削られ、砕かれ、又沈澱集積されたる姿である」ととらえていた。この句にはそうした眼力が感じられる。   ( 和子 )



 大正4年作。『新訂普羅句集』所収。


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# by chi-in | 2014-03-06 20:14 | 春の句

年忘れ老は淋しく笑まひをり     高浜虚子


  《 としわすれろうはさみしくえまいおり 》



 季題は〈年忘れ〉で冬。忘年会の席上、少し酒が入ってくると座もだんだんにぎやかになる。宴会は盛り上がってゆく。はずんだ空気の中で、この句の老人は、酒を飲むでもなく話に加わるでもなく、にこやかな笑顔を作って座っている。

 静かに微笑みをたたえて座っている老の淋しさは誰にも理解できはしない。老年というものの本質をこれほど静かに、さりげなく穿った虚子の深いまなざしに脱帽せざるを得ない。  ( 克巳 )



 虚子が提唱した「花鳥諷詠」とは自然諷詠のことだと、偏狭なのみこみをする向きがあるようだが、この言葉は、人間存在も自然界の一部と包みこんでいた信念であることを忘れてはならない。虚子ほど人間の諸相を詠んだ俳人もまた少ないのである。ほんの一例だが、

  手を出せばすぐに引かれて秋の蝶  虚子
  羽子板を口にあてつゝ人を呼ぶ
  これよりは恋や事業や水温む
  髪洗ふまなくひまなくある身かな
  襟巻の狐の顔は別にあり

 
 いたいけな幼児から娘盛り、社会に出るころ、子育て真っ只中の若い母親、気取った婦人・・・・・。それぞれの人間が虚子の作の中でなんといきいきと生きていることか。     ( 和子 )


 昭和14年作。『自選虚子句集』所収。



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# by chi-in | 2013-12-11 20:57 | 冬の句

翠黛の時雨いよいよはなやかに      高野素十



  《 すいたいのしぐれいよいよはなやかに 》



 季題は〈時雨〉で初冬。この語を私は長いこと通り雨と同意に解していたが、関西に移り住んで、どこからでも低い山々を望む風土に親しむことにより、その本意を見知った思いがした。殊に京都の北山の時雨など、青空が上空に見えているのに、山にかかる雲が雨を降らし、日当たりながらきらきらと注ぐ。まさに「はなやか」の一語に尽きるのである。

 「翠黛」は本来みどりのまゆずみ。転じてみどりに霞む山の端のカーブをもいう。『平家物語』の大原御幸のくだりには、寂光院の周辺を描いて「緑羅の垣、翠黛の山、絵にかくとも筆も及び難し」とある。これによって後世、寺の谷あいの林を緑羅の垣と称し、向かいの山を翠黛山と呼ぶようになった。

 この句を鑑賞する上で、背景を寂光院の辺りとすることは、「寂光院」という前書からも、時雨という季題の本意からも、叶っていよう。   ( 和子 )



 『平家物語』の哀話で知られる建礼門院徳子が庵を結んだのが寂光院であるが、実は現在知られている寂光院は後になって営まれたものであると土地の俳人に教えられた。その近くにある本来の寂光院の跡という場所を案内されたのだが、かろうじて、庵のあとと知られるほどで、草木が生い茂るばかりであった。しかし、そのあたりの山々や谷や田んぼのありさまは、『平家物語』の昔をしのばせるに十分であった。

 『時雨』という季題を「はなやかに」というとらえ方をしたところに、この句の魅力がある。勿論、寂光院あたりの小径からの眺めである。時雨の雨が降りまさるのと同時に日差があたりを明るく照らし出す。きらきらと光る雨の糸。明と暗の美しい対比が自ずと一幅の絵巻の世界を現出する。  ( 克巳 )


 昭和2年作。『初鴉』所収。



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# by chi-in | 2013-11-19 18:03 | 冬の句