山はひそかに雪ふらせゐる懺悔かな   鈴木しづ子


  《 やまはひそかにゆきふらせいるざんげかな 》


 季題は〈雪〉で冬。私たちの心には、誰もがそれぞれ原風景ともいうべきものを持っている。それは月光のあまねくさし渡った海かもしれない。涯も知られぬような枯野の景かもしれない。また、白ちゃけた岩が累々と連なる賽の河原のようなところかもしれない。心が休息を求めるとき、何か悩みごとに打ちひしがれたとき、日常の生活に疲労しつくしたとき、我々の心は、それぞれの原風景の中にかえってゆくーーーーー。

 作者の胸中にあった原風景は、皓皓と照りながら、しずまりかえる山であったのだろうか。現実の生活からはるかかけ離れたところにたたずむ聖なる山は、いまひそやかに雪を降らせている。すべての存在を浄化してなお降り続ける雪。わが一身をその前に投げ出した作者は、取り返しのつかぬ人生の悔が、やがて清浄な雪につつまれて消え去ろうとするのを感じている。

  〈 春雪の不貞の面テ擲ち給へ 〉

と、降りしきる春の雪に自らを投げ出すしづ子である。    ( 克巳 )



 この山も雪も、現実の景ではないように思える。心象風景の山だからこそ「山はひそかに雪ふらせ」といった、まわりくどい言いまわしをしているのだろう。『山にひそかに雪が降って」いるのとは違うのだ。

 下五の「懺悔」は唐突のように見えるが、くり返し読んでいると、懺悔の思いが、心の山に音もなく雪を降らせているのだという気がしてくる。自分の過去を悔い、素直にうちあけて、
大きな存在に許しを求めるといった心の過程で、心の山は黙ってひそかに雪をもたらすのである。そして、その雪に、許しを見ているのだ。そういった心象風景を思い描くことで、癒されているのだ。   ( 和子 )


  句集『指輪』所収。以下、『指輪』所収の句は句集刊行の昭和26年以前の作ということになる。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[PR]
# by chi-in | 2015-01-15 22:00 | 冬の句

捨焚火寒山拾得来て育て    河野静雲



  《 すてたきびかんざんじっとくきてそだて 》



 季題は〈捨焚火〉で冬。寒山は中国唐代の詩僧、豊干禅師を師とする。仏教の哲理に通じ、文殊菩薩の化身であるといわれた。『寒山詩集』がある。一方、拾得は国清寺にいた僧で、豊干禅師に拾われた孤児ということでこの名がある。その脱俗ぶりは有名で、寒山と併称されることが多い。禅画でしばしば寒山拾得図が描かれているが、この句はその禅画の趣を強くもった作品である。

 静雲は浄土門であるが、若い時に胸を病み、闘病の意味もあって参禅したという。

 白い煙を上げて消えかかっている焚火に、寒山と拾得がやってきて再び燃え上がらせると、何やらおかしそうに笑いながら、しきりに暖をとっているのである。捨焚火の「捨」と拾得の「拾」が対になって用いられているところにちょっとした禅問答風のおもしろさがある。   ( 克巳 )



 森鴎外の短編「寒山拾得」に、二人は豊干の言葉でこのように紹介されている。「国清寺に拾得と申すものがおります。実は普賢でございます。それから寺の西の方に、寒巌という石窟があって、そこに寒山と申すものがおります。実は文殊でございます。」普賢、文殊は共に釈迦の左右の脇士で、仏の教化、済度を助けるとされている。

 拾得が寺の厨で僧どもの食器を洗い、残った飯や菜を竹の筒に入れておくと、寒山がそれをもらいに来る。むさくるしい厨の隅の竈で、痩せて身すぼらしい二人が火にあたっている。豊干に紹介された者が訪ねてくると、二人は「顔を見合わせて腹の底から籠み上げて来るような笑声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた」。これが鴎外描く寒山拾得像である。

 揚句は静雲描く寒山拾得像。世人の捨てた焚火を育て、心満ちた様子の二人が見えてくる。   ( 和子 )



 昭和24年作。句集『閻魔以後』所収。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[PR]
# by chi-in | 2014-12-17 21:13 | 冬の句

小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん    正岡子規


  ≪ さよしぐれうえのをきょしのきつつあらん ≫



 季題は〈小夜時雨〉で冬。「小夜」は夜の美称。冬のはじめの頃、さっと降りだしては止む雨を時雨という。

 明治29年、子規30歳の11月頃、これまで単なるリウマチ性の腰痛と考えていた病状が悪化し、静臥を余儀なくされるまでになっってしまった。その夜、虚子の来訪を待っていた子規は、この時雨の音が耳について離れない。もういつものように虚子が来る時分だ。今頃は上野あたりを歩いているだろうか。

 多くの俳句の弟子の中でも虚子は特別だった。郷里を同じくする縁もあって、虚子は誰よりも親しく感じる。このように病臥している今、何よりもうれしいのはそういう弟子との会話である。骨身を惜しまず子規のために働く母や妹では、やはりその役はつとまらないのである。  ( 克巳 )



 子規は虚子が今、自分に向かって歩いて来つつあることを感じている。虚子は誰よりも待たれている。子規の闘病生活に取材した虚子の小説『柿二つ』や、回想記『子規居士と余』などによると、病床の子規は、多くの弟子の中でも虚子が枕頭に侍ることを最も好んだ。よく虚子を呼びつけた。同じく同郷の碧梧桐でさえ、「居士は虚子が一番好きであったのだ」と言っている。

   すぐ来いといふ子規の夢明易き    虚子

 これは昭和29年の作。子規が逝って既に半世紀の歳月が経っているとは思えぬほど、精神の呼応が感じられる句ではないか。  ( 和子 )


 『子規句集』所収。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[PR]
# by chi-in | 2014-11-05 20:03 | 冬の句