カテゴリ:新年の句( 6 )

生くることやうやく楽し老の春     富安風生




  《 いくることようやくたのしおいのはる 》



 季題は〈老の春〉で新年。「房州僑居に数へて八十歳の春を迎ふ」との前書がある。八十歳の作であることを考え合わせると、この「楽し」は前掲の「一生の楽しきころ」の楽しさとは、意味あいが違ってくるだろう。八十歳になって、ようやく生きることが楽しいといえるようになったのは、青年期や壮年期の悩みやさまざまな責任などから開放された安堵が含まれていよう。と同時に、この句の心は市を意識する年代に到ったことも無縁ではないだろう。

 私はこの句に『徒然草』の一節と通いあうものを見る。「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらむや」「人皆せいを楽しまざるは死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るるなり」(九十三段)

 人はとかく生と死が隣り合わせであるという自明の道理を忘れがちである。ことに若いうちは。老境に入り、この道理を実感するに至って、生きることの本当の重みと楽しさを実感した折の句ではあるまいか。  ( 和子 )



 人に聞いた話である。風生はすでに相当の年のはずである。その風生いわく、「君ね、墨を磨るのは、女陰を撫する如くだよ」と。私はその時、風生翁の年と共に艶を加えている原因が理解できたように思った。風生に具わった艶というものを象徴しているようなエピソードであると思ったのである。

 風生が〈老の春)という季題をしばしば用いるのには大分忠告じみたことが仲間からも、またその伴侶からも発せられたようである。しかし、「老の春」と断言してはばからぬ老境の高さと深さが、作者にはあったことはまぎれもない事実であろう。  ( 克巳 )



  昭和39年作。『喜寿以後』所収。
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by chi-in | 2012-01-11 20:41 | 新年の句

いにしへのてぶりの屠蘇をくみにけり   鈴木しづ子

  《 いにしえのてぶりのとそをくみにけり 》


 季題は〈屠蘇〉で新年。古代中国の名医華佗(かだ)の処方を伝える屠蘇散を、酒や味醂に浸して正月に飲むと、延命長寿が得られるという縁起もの。平安時代には日本に伝わっていたと見え、『土佐日記』にも年末に旅立つ貫之のもとに、医師(くすし)が屠蘇や白散を酒と共に持ってきたことが記されている。
 「てぶり」は、この句の場合、今でいう「手振り」ではなく、古語の「手風(てぶり)」、つまり風俗やならわしの意に取るべきであろう。この語で思い出されるのは、『万葉集』の、

   天ざかる鄙に五年(いつとせ)住まいつつ都のてぶり忘らえにけり     山上憶良

の歌である。
 昔からのならわしである屠蘇を、ならわし通りに器に入れて飲んだという句であるが、古風な言葉づかいが、作者のかしこまった気持、昔を思う心を優雅に表わしている。初心にしてこのようなもの言いができるとは、その才の並々ならぬことを物語っていよう。 ( 和子 )



 鈴木しづ子の処女句集『春雷』の劈頭に置かれた作品である。まさに俳句というもののひとつの典型を見る思いがする。
 自跋のうちに、「俳聖芭蕉の詩精神に一歩でもちかづくべく、こののちともより一層の努力」をするつもりとあるが、そのような心の高揚があっての一句というべきであろう。
 第二句集『指環』におけるしづ子は、池上浩山人の言葉を借りれば、「からだをはって俳句をつくっている」といった作家に変貌した。彼女の師松村巨湫は、自分の人生と取っ組み合いの勝負をして、それをさらけ出していると評した。巨湫は『春雷』の序文で、俳句の格をつかんだ句として、

     焚かれゆくけさの落葉のなまがはき
     寒風や風たちやすき笹の原


などと並べて揚句を推賞している。俳句という器に、季題という内容を盛る骨法ともいうべきものを、その作句体験のごく初期にすでに手に入れていたということは特筆に値するだろう。また第二句集への展開は、このような「かたち」への習熟なしに考えることはできない。   ( 克巳 )


   句集『春雷』所収。同書は昭和21年2月10日刊。

   以下、『春雷』所収の作品はすべて昭和20年までの作である。
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by chi-in | 2010-01-12 19:18 | 新年の句

子とあそび夫とかたり妻の春  河野静雲

 
 《ことあそびおっととかたりつまのはる》


 季題はいうまでもなく〈春〉だが、この場合の春は季節のそれではなく、お正月を指す。
 日頃は忙しく立ち働いている妻であるが、お正月だけはのんびり子供たちとあそんだり、夫とゆっくり語らうことをしている、という句である。「子とあそび」は、双六をしたり、かるたをしたり、あるいは羽子つきをつき合ったり、ということであろうか。「夫とかたり」は、炬燵にさし向かいでお酌をしたり、お茶を飲んだりしながら、ということだろう。
 これが妻のお正月だ、ということは、日常の暮らしぶりの忙しさやつつましさを表していよう。そんな妻への作者の思いやりも感じ取れるし、妻自身のささやかな幸福感も、このゆるやかな詠いぶりから伝わってくる。作者の満足感も。
 鹿児島の名刹からの招請を断って、俳僧としての一生を選び、三男一女をかかえた静雲の生活は、楽なものではなかったというが、子育て最中の女性のお正月とは、みなこうしたものである。こんな折がいちばんうれしいものだ。  ( 和子 )


 第三者の生活を詠むごとく、さらりと表現しているが、当然この句は、妻は我が妻であり、子は静雲の子供に違いないだろう。
 静雲は、自分を含めて、実に多くの僧の生活を詠んでいる。

  貨殖家の夏蚕も飼うて和尚かな  

などという利殖にたけた坊さんは少なく、

  かの和尚盆をあてなる歯の治療
  穀象の米干してゐる僧子弟
  行水の四股踏む裸和尚かな


など、つつましやかでかつユーモラスな、自画像風の作品が多いのが特色である。
 梵妻の毎日は、住職と同じくらい忙しくまた気をつかうものである。しかし、正月ばかりは仏事も葬儀もなく、のんびり過ごすことができる。そういう正月三ヶ日を妻子ともども楽しんでいる静雲の人柄が、生まじめな詠み口で表現されている。 ( 克巳 )

    昭和十二年作。 句集『閻魔』所収
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by chi-in | 2009-01-05 14:16 | 新年の句

手毬唄ここのつ十はさびしけれ  能村登四郎

《てまりうたここのつとおはさびしけれ》

 季題は<手毬唄>で新年。かつての日本では羽子つきや独楽まわし、歌留多、双六などと共に手毬をつくことも新年の遊びだった。美しい糸を交叉させてさまざまの模様に絡げ上げた毬は、見ているだけでも楽しい。毬をつく時に歌うのが手毬唄で、それぞれの土地で古くから歌い継がれているものである。多くはひとつ、ふたつ、みっつと、数え歌になっている。
 
 幼い時には大人から口移しに習った歌だから、その意味まで深く考えて歌うものではない。しかし、大人になってから意味を汲んで歌ってみると、わらべ唄や子守唄には悲しいことをいっているものが多い。この手毬唄、具体的にはどんな歌詞かわからないが、ひとつ、ふたつあたりは明るく他愛のないものなのだろう。「ここのつとお」と最後の方になってくると、つくづく悲しいことを歌っているよ、と気づいた時の句。 <和子>



 私は男ばかりの三人兄弟だから雛人形とか毬つき遊びには全く無縁に過ごした。しかし、季題としての「雛」や「手毬唄」は、他のどの季題よりも心をひかれるように思う。さすがに手毬をついたという句はないが、手毬はその模様が好きで、飾りとしていくつも持っていたこともある。

 昔から女の子の遊びとして手毬はどんな山里でも行われていた。家が貧しくて子守などに出された少女が、みどり子を背負いながら一生懸命についている様子など、どこの町でも見られた風景に違いない。毬をついて遊んでいるうちはよいのだが、少女にとって親元を離れて他郷で働くのはさぞ辛いことだったろう。そんなことからも、手毬唄の文句はどうしても哀愁を帯びてくる。

 この句の「ここのつ十」あたりも、そんな少女の悲しみがうたわれているのかもしれない。
虚子に<手毬唄かなしきことをうつくしく>の一句がある。 <克巳>
   昭和63年作。句集『菊塵』所収。 
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by chi-in | 2008-01-04 01:14 | 新年の句

元日や手を洗ひをる夕ごころ   芥川龍之介

 季題は<元日>。「夕ごころ」とは、夕方だなあと思う心ぐらいのことだが、何と実感にあふれたしみじみとした語であろう。日本人にとって元日は特別の日。朝から初日の出を拝み、屠蘇を祝い、雑煮膳を囲み、賀状に目を通す。身辺に子供があれば凧上げや羽子つきをする。現代ならトランプや様々なゲームなのであろうか。

 そんないつもと違う一日も日暮れに近づいた時の、少しものに飽いたような、何とはなしに淋しい実感が、さりげなく叙べられている。それは「手を洗ひをる」という、何でもない動作を通して表わされているからだ。この一日も暮れてゆく、というしみじみとした実感は、元旦という特別な日の無聊がもたらす感慨とでもいおうか。誰にも心当たりのある情景である。 <和子>



 俳句に遊んでいる時の芥川にはたとえば『夕鶴』のおつうのように心身をすり減らしながら創るという姿勢よりも、むしろよい意味で俳句にあそぶという余裕すら感じられる。

元日の一日が何事もなく過ぎてゆき、やがて夕方に近い頃、作者は厠にでも立ったのであろう。そして手洗いの水を使いながらどこを見るともなくあたりを眺めているのである。

この時の龍之介の心は、まさに「夕ごころ」としか表現しようがないではないか。それはハレの日におけるとある平常心とでもいおうか。ある種の充足が感じられる一時なのである <克巳>
   大正十年作。『澄江堂句集』所収。
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by chi-in | 2007-01-21 01:19 | 新年の句

去年今年貫く棒の如きもの   高浜虚子

季題は<去年今年>で新年。<去年>或いは<今年>だけでも季題となる。『後拾遺集』の小大君の歌

   いかにねておくるあしたに言ふ事ぞきのふをこぞとけふをことしと

が、この季題の本意といえよう。

昨日を去年といい今朝を今年という、そんな時の流れの中にあって、貫いているものは変わらない、というのである。それはいわば棒のように変哲もなく、まっすぐで、年が改まったからといって改まることもない。実生活も、信条も、棒のようなものです、と言い放って憚らぬ大人の声が聞こえてくるようだ。このふてぶてしいまでの揺ぎない人生態度には讃嘆を禁じ得ない。 <和子>



虚子の、年の暮の句に、

   年は唯黙々として行くのみぞ
   年を以て巨人としたり歩み去る

がある。いずれも擬人化表現を用いて、去る年を表現しているのが特色といえるだろう。掲句は、時の流れを暗い混沌としたものとしてとらえ、それを貫くようにして太々とした棒のごとき存在を意識しているのである。きわめて抽象的な認識であるにもかかわらず、説得力があるのは、虚子の自信に裏うちされた一句であることによるだろう。

芭蕉の『笈の小文』の中に、

「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道するものは一つなり」

という一節がある。すべての芸術の根本を貫くものは一つ、それは風雅であるということだが、この句の棒のごときものに通じる何かがあるように思う。 <克巳> 
          昭和25年作 『六百五十句』所収
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by chi-in | 2005-01-01 00:02 | 新年の句