今月の一句
2016-09-14T19:58:21+09:00
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故人の名句に学ぶ
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とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村汀女
http://meiku.exblog.jp/25900715/
2016-09-14T19:56:00+09:00
2016-09-14T19:58:21+09:00
2016-09-14T19:56:15+09:00
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秋の句
《 とどまればあたりにふゆるとんぼかな 》
季題は〈蜻蛉〉で秋。夫の横浜税関への転勤にともない、大阪から住居を横浜に移した頃の作品である。
この句は、t音が基調になったやわらかいしらべの句である。その内容と相俟って、いかにも女性らしいふくよかな感性を思わせる。風に吹かれながら突堤のようなところを散策している作者を想像してみよう。ふと気がついてみると、風にのっていつの間にか蜻蛉があたりに数を増している。その数は、軽い驚きを感ずるほどの多さなのである。しばらく蜻蛉の流れの中に身を置いて佇んでいると、自分の心も秋風の中に解き放たれてゆくように感ずるのである。 ( 克巳 )
たとえば夕方、子供を呼びに出て、原っぱにふと佇んだ時、ああもう蜻蛉がこんなにたくさん飛ぶ季節になったのだ、と気づく。またたとえば久しぶりに吟行に出かけて、いつもと違う歩調で歩き、句帳をひらいて歩をとめる。そんな時、あたりにしきりに飛び交う蜻蛉の数に今更ながら季節の移り変わりを実感する。
「とどまれば」は歩をとめると、の意ではあるが、同時に日常生活とは異なる視点をも意味している。何か用事や目的を持ってさっさと歩いている時には目に入らない、気がつかないものが、ふと心の余裕を得てとどまってみると、目に飛びこんでくる。心が和み、視野が広がって、風に乗る蜻蛉にしばし心をあそばせる。
誰もが体験している日常生活の中にふっと訪れる詩ごころを、そのまま詠いあげている、いわば普段着の詩。 ( 和子 )
昭和7年作。『汀女句集』所収。
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言ひつのる唇美しや春寒く 日野草城
http://meiku.exblog.jp/24961588/
2016-02-15T20:09:06+09:00
2016-02-15T20:08:53+09:00
2016-02-15T20:08:53+09:00
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春の句
《 いいつのるくちうつくしやはるさむく 》
季題は〈春寒し〉で春。主人公は作者の妻か、それとも関わりのある女性か(情況の設定はいかようにも考えられるのだが)、何かおさまらないことがあるかして、言葉に怒気を含んで言いつのる。あるいは男の不実をなじる女の体かも知れぬ。
女は、男の馬耳東風然とした態度にいっそういらだってまた言いつのる。男の視線は半ば相手の言葉を無視しつつ、赤く美しい唇にのみひきつけられている。まるでそこだけ違う生き物のようにも感じられる女の朱唇の美しさ。
多くの女性を句の題材とした草城の意識下には、この句に見られるような唯美的傾向が見られるように思う。これは一歩ふみ外すと女性蔑視ともうけとられかねない心の動きなのである。「春寒く」という下五がそれをかろうじて救っている。 ( 克巳 )
この美しい唇は作者に向けられている。今まで抑えていたものを声高に主張しはじめた女の言葉は、とどまるところを知らない。言葉少なにしている時より、この方がずっと生き生きしていて、色っぽい、と男の目は楽しんでいる。男のそんな点こそ、じつは女が最も歯痒く思っていることなのだが。
「春寒く」は、男女の間に流れている深い溝の存在を、男がどこかに感じているのを暗示しているようだ。草城の若い頃の作品には、こうしてた艶っぽい句が多くみられる。
< 春の夜や顔あまやかす牡丹刷毛 >
< 嵩もなう解かれて涼し一重帯 >
< 後れ毛をふるはせて打つ砧かな >
< 淡雪やかりそめにさす女傘 >
< つれづれの手のうつくしき火桶かな >
< 手袋をぬぐ手ながむる逢瀬かな >
若い男の軽快な遊び心が書き散らした、という感がないでもないが、大正から昭和の初めに若々しい新風を送ったことも事実。 ( 和子 )
『花氷』所収。
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ねんねこやあかるい方を見てゐる子 京極杞陽
http://meiku.exblog.jp/24736316/
2015-12-04T18:41:00+09:00
2015-12-04T18:43:33+09:00
2015-12-04T18:41:07+09:00
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冬の句
《 ねんねこやあかるいほうをみているこ 》
季題は〈ねんねこ)で冬。最近は見かけることが少なくなったが、ひと昔前まではねんねこは子育ての必需品だった。綿入れの、どてらの背中の部分がたっぷりと作ってあるような防寒着で、冬には赤ん坊をおんぶした上から着ると、とても暖かいものだったが。
しかし、けっして見場のいいものではない。あれを着ると子育てにどっぷり浸りきって、お洒落ごころのかけらもなくなったような気がして、私自身も、止むを得ない時にしか着た覚えはない。だんだん廃れてゆくのもわかる気がする。
それはさておき、この句の「子」は、お母さんの背中でじっとしているほどの赤ん坊。その子が明るい方を見ている、という発見は、心を和ませる。別に何を見ているというのでもない。特に心引かれる何かがあるというのでもない。しかし、さっきから見ていると、母親の動きや向きにかかわらず、自ずと明るい方へ顔をむけている。 ( 和子 )
電車の中でも公園でも、母親に抱かれたり、乳母車にのせられたりしている幼児の眼の動きには興味をひかれることが多い。赤ちゃんがけっして暗い方を見ようとはしないのは当然といえば当然である。なぜなら、彼の眼底に何も映らないからだ。この句の赤ちゃんも、ねんねこにくるまりながら、その視線は絶えず明るい方に向けられて、何かを見ようとする。赤ちゃんの成長過程にもよるだろうが、彼らは四囲の動きを観察しているかのごときである。目に映ったものを実に入念にチェックしているようにその澄んだ瞳が動く。
いったん彼の網膜に映った物のかたちをはっきりと認識し、記憶にとどめておこうといわんばかりの知識欲のかたまりといった小さな生き物ーーーそれが赤ちゃんだ。
この句の子も、しっかりと何かを観察しているのかもしれない。 〈克巳 )
昭和16年作。句集『くくたち』(上)所収。
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暁は宵より淋し鉦叩 星野立子
http://meiku.exblog.jp/24571032/
2015-10-14T20:16:45+09:00
2015-10-14T20:16:41+09:00
2015-10-14T20:16:41+09:00
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秋の句
《 あかつきはよいよりさみしかねたたき 》
季題は〈鉦叩〉で秋。鉦叩はバッタ目コオロギ科の昆虫で、体長の二倍ほどの触角と、長い二本の尾毛が特徴である。雄は長円形で後翅はなく、雌は無翅で鳴かない。秋、雄が広葉樹下や朽葉の間で「ちんちん」と地味な、響きのない音を立てる。
宵という時間は、まだ人と人のつながりが濃密なときである。しかし夜中を過ぎて人は皆眠りにつきそれぞれが孤独に還る。その淋しさのきわまりが暁ともいえよう。明日という近未来に対して抱くとりとめのない不安が、作者の淋しさをつのらせる。同じ鉦叩の声が、暁にはこれほどまでに心にしみ入ってくるのである。 ( 克巳 )
この句が「ホトトギス」に発表された時、虚子は「従来のやうな明るい鏡に写しとつたやうな景色其儘―――其儘といふのは語弊がある。矢張り作者の頭の燃焼を経た景色―――を写生した句ではなくつて、作者の感情が土台になつて、其の作者の感情の動く儘に景色を描くといつたやうな句になつて来た」と評し、その作句傾向の変化を認めている。この時期に立子の句風のひとつが確立されたといえよう。
その時の心持ちや感覚に実に忠実であり、表現は平明、しかも季題の配合に冴えがみられる。 ( 和子 )
昭和10年作。『立子句集』所収。
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蕗の薹喰べる空気を汚さずに 細見綾子
http://meiku.exblog.jp/23754509/
2015-03-07T19:54:48+09:00
2015-03-07T19:54:57+09:00
2015-03-07T19:54:57+09:00
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春の句
《 ふきのとうたべるくうきをよごさずに 》
季題は〈蕗の薹〉で春。「そら豆」「蕗煮る」「烏賊を喰ふ」「青菜」「大根煮る」「菊なます」等々、綾子の作品には食べ物の句がきわめて多い。
空気を汚さないで食べる、ということは、食べた直後に口中に残るある種の爽涼感、さっぱりとした後味をさしていうのであろう。たとえば大蒜のようなものを食べた後は、こうはいかない。口中にいつまでも匂いが残り、吐く息もまた、あたりに特有の臭さを漂わせるということになる。
それに対して蕗の薹は、独特の苦みと香りがあり、早春の賜物というべきであろう。食後のさわやかな印象は、「空気を汚さず」という実感につながる。 ( 克巳 )
みそ汁に蕗の薹を刻んでぱっと散らすと、春の芳香が立つ。それを口にすると口中に香が残る。早春の空気を感じる食べ物だ。「空気を汚さずに」といっているが、新たな空気が匂い立つような感じさえする。
ものを食べるという行為は、どこか動物めいていて、肉や魚を口にする場合は、こう美しく描けるものではない。野菜や果物にしても、一口で食べられないものは、かぶりついたり、むしゃぶりついたりするということになる。その点、蕗の薹などというものは、一口で口に収まり、しかも一度にひとつかそのかけらを口にするだけで、食べたという気がする。「空気を汚さずに」ということの中に、空気を乱さぬことまで含まれていよう。
蕗の薹を刻むと、空気に触れた部分が見る見るうちに茶色に変色してゆく。蕗の薹は空気に触れてさえ汚れてしまう山菜、というのが私の印象だ。 ( 和子 )
昭和37年作。句集『和語』所収。
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天平のをとめぞ立てる雛かな 水原秋桜子
http://meiku.exblog.jp/23665069/
2015-02-12T20:20:00+09:00
2015-02-12T20:23:46+09:00
2015-02-12T20:20:17+09:00
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春の句
《 てんぴょうのおとめぞたてるひいなかな 》
季題は〈雛〉で春。「ひいな」と三音に読む。天平時代の乙女が立っているようなお雛様であることよ、の意。天平のおとめとは、どんな様子なのだろう。「冠もなにもつけぬ、日常のままの天平時代の少女の立ち姿が、一尺くらいの柔らかい材に彫られ、それに淡彩を施してあった」と作者は記す。素朴な木彫雛を詠んだものであろう。何の飾りもつけていないところに心惹かれたのである。
私はこの句に、秋桜子が京都よりも奈良にたびたび足を運び、奈良の古寺や仏像に親しんだゆえんを見る思いがする。平安時代の女性を模した豪華な雛よりも、天平のおとめの面影を見る立雛を、好もしく思う作者なのである。
後にこの雛を買わなかったことを悔やんだと聞くが、この一句によって、雛は手元に置くよりもたしかに秋桜子のものになったといえよう。 ( 和子 )
「ぞ」という係助詞の働きで、天平という時代に対する作者の思いと、きわめて素朴で飾り気のない立雛のありようが強調されている。木彫雛の句は大正13年に、
遠つ世の面輪かしこし木彫雛 秋桜子
はしきよし妹背ならびぬ木彫雛
衣手の松の色栄え木彫雛
の三句がある。素朴な木彫の立雛は、秋桜子の心にかなっていたのであろう。
葛飾といい、真間といい、天平といい、秋桜子には万葉時代がきわめて身近に感じられていたもののようである。その時代性ともいうべき素朴さの中ににじむような美しさに心をとめていたということであろうか。
立雛は夜の真間にも立ちつづく 秋桜子
という句を昭和46年に得ているが、立雛という清楚な美しさを終生いとしみ続けた秋桜子の人柄が感じられる。 ( 克巳 )
昭和3年作。『葛飾』所収。
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山はひそかに雪ふらせゐる懺悔かな 鈴木しづ子
http://meiku.exblog.jp/23557509/
2015-01-15T22:00:00+09:00
2015-02-12T20:24:31+09:00
2015-01-15T22:00:01+09:00
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冬の句
《 やまはひそかにゆきふらせいるざんげかな 》
季題は〈雪〉で冬。私たちの心には、誰もがそれぞれ原風景ともいうべきものを持っている。それは月光のあまねくさし渡った海かもしれない。涯も知られぬような枯野の景かもしれない。また、白ちゃけた岩が累々と連なる賽の河原のようなところかもしれない。心が休息を求めるとき、何か悩みごとに打ちひしがれたとき、日常の生活に疲労しつくしたとき、我々の心は、それぞれの原風景の中にかえってゆくーーーーー。
作者の胸中にあった原風景は、皓皓と照りながら、しずまりかえる山であったのだろうか。現実の生活からはるかかけ離れたところにたたずむ聖なる山は、いまひそやかに雪を降らせている。すべての存在を浄化してなお降り続ける雪。わが一身をその前に投げ出した作者は、取り返しのつかぬ人生の悔が、やがて清浄な雪につつまれて消え去ろうとするのを感じている。
〈 春雪の不貞の面テ擲ち給へ 〉
と、降りしきる春の雪に自らを投げ出すしづ子である。 ( 克巳 )
この山も雪も、現実の景ではないように思える。心象風景の山だからこそ「山はひそかに雪ふらせ」といった、まわりくどい言いまわしをしているのだろう。『山にひそかに雪が降って」いるのとは違うのだ。
下五の「懺悔」は唐突のように見えるが、くり返し読んでいると、懺悔の思いが、心の山に音もなく雪を降らせているのだという気がしてくる。自分の過去を悔い、素直にうちあけて、
大きな存在に許しを求めるといった心の過程で、心の山は黙ってひそかに雪をもたらすのである。そして、その雪に、許しを見ているのだ。そういった心象風景を思い描くことで、癒されているのだ。 ( 和子 )
句集『指輪』所収。以下、『指輪』所収の句は句集刊行の昭和26年以前の作ということになる。
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捨焚火寒山拾得来て育て 河野静雲
http://meiku.exblog.jp/23445276/
2014-12-17T21:13:00+09:00
2015-02-12T20:25:14+09:00
2014-12-17T21:13:23+09:00
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冬の句
《 すてたきびかんざんじっとくきてそだて 》
季題は〈捨焚火〉で冬。寒山は中国唐代の詩僧、豊干禅師を師とする。仏教の哲理に通じ、文殊菩薩の化身であるといわれた。『寒山詩集』がある。一方、拾得は国清寺にいた僧で、豊干禅師に拾われた孤児ということでこの名がある。その脱俗ぶりは有名で、寒山と併称されることが多い。禅画でしばしば寒山拾得図が描かれているが、この句はその禅画の趣を強くもった作品である。
静雲は浄土門であるが、若い時に胸を病み、闘病の意味もあって参禅したという。
白い煙を上げて消えかかっている焚火に、寒山と拾得がやってきて再び燃え上がらせると、何やらおかしそうに笑いながら、しきりに暖をとっているのである。捨焚火の「捨」と拾得の「拾」が対になって用いられているところにちょっとした禅問答風のおもしろさがある。 ( 克巳 )
森鴎外の短編「寒山拾得」に、二人は豊干の言葉でこのように紹介されている。「国清寺に拾得と申すものがおります。実は普賢でございます。それから寺の西の方に、寒巌という石窟があって、そこに寒山と申すものがおります。実は文殊でございます。」普賢、文殊は共に釈迦の左右の脇士で、仏の教化、済度を助けるとされている。
拾得が寺の厨で僧どもの食器を洗い、残った飯や菜を竹の筒に入れておくと、寒山がそれをもらいに来る。むさくるしい厨の隅の竈で、痩せて身すぼらしい二人が火にあたっている。豊干に紹介された者が訪ねてくると、二人は「顔を見合わせて腹の底から籠み上げて来るような笑声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた」。これが鴎外描く寒山拾得像である。
揚句は静雲描く寒山拾得像。世人の捨てた焚火を育て、心満ちた様子の二人が見えてくる。 ( 和子 )
昭和24年作。句集『閻魔以後』所収。
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小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん 正岡子規
http://meiku.exblog.jp/23236019/
2014-11-05T20:03:00+09:00
2015-02-12T20:25:56+09:00
2014-11-05T20:04:30+09:00
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冬の句
≪ さよしぐれうえのをきょしのきつつあらん ≫
季題は〈小夜時雨〉で冬。「小夜」は夜の美称。冬のはじめの頃、さっと降りだしては止む雨を時雨という。
明治29年、子規30歳の11月頃、これまで単なるリウマチ性の腰痛と考えていた病状が悪化し、静臥を余儀なくされるまでになっってしまった。その夜、虚子の来訪を待っていた子規は、この時雨の音が耳について離れない。もういつものように虚子が来る時分だ。今頃は上野あたりを歩いているだろうか。
多くの俳句の弟子の中でも虚子は特別だった。郷里を同じくする縁もあって、虚子は誰よりも親しく感じる。このように病臥している今、何よりもうれしいのはそういう弟子との会話である。骨身を惜しまず子規のために働く母や妹では、やはりその役はつとまらないのである。 ( 克巳 )
子規は虚子が今、自分に向かって歩いて来つつあることを感じている。虚子は誰よりも待たれている。子規の闘病生活に取材した虚子の小説『柿二つ』や、回想記『子規居士と余』などによると、病床の子規は、多くの弟子の中でも虚子が枕頭に侍ることを最も好んだ。よく虚子を呼びつけた。同じく同郷の碧梧桐でさえ、「居士は虚子が一番好きであったのだ」と言っている。
すぐ来いといふ子規の夢明易き 虚子
これは昭和29年の作。子規が逝って既に半世紀の歳月が経っているとは思えぬほど、精神の呼応が感じられる句ではないか。 ( 和子 )
『子規句集』所収。
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鳥わたるこきこきこきと缶切れば 秋元不死男
http://meiku.exblog.jp/23135221/
2014-10-17T20:35:00+09:00
2015-02-12T20:26:28+09:00
2014-10-17T20:35:42+09:00
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秋の句
《 とりわたるこきこきこきとかんきれば 》
季題は〈鳥わたる〉で秋。鳥が渡って来たことと、缶詰を切る作者の行為とは何の脈絡もないのだが、たまたま缶詰を開ける音をたてている時に、渡り鳥に気づいたという取り合わせは、どこか俳句的だ。それは句の中心をなしている「こきこきこき」という印象的な音のせいだろうかーーーー。
この擬音語の故に、この句は不思議な朗誦性をもつ。缶切りで缶詰を開ける時、私は必ずこの句を思い出す。窓の外の空の広がりを思う。やはり乾いた秋空がふさわしい。
同じように擬音語や擬態語の生かされている作品として、
〈 ライターの火のポポポポと滝涸るる 〉
〈 へろへろとワンタンすするクリスマス 〉
〈 鳶の下冬りんりんと旅の尿 〉
〈 退る金魚さらさらと置く首飾 〉
などがある。計算以前の感覚的な冴えを見る思いがする。 ( 和子 )
正岡子規の句に、
〈 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 〉
という作がある。これは、柿を食っていると、折から法隆寺の鐘が鳴るのが聞こえたという意味であり、柿を食ったから鐘が鳴ったというのではない。
この不死男の句にも同様なことがいえる。俳句特有の表現である。
戦後の食糧難の時代であるから、缶詰は貴重なものであったに相違ない。その缶詰を切る時の心の踊るようなよろこびが、「こきこきこき」という擬音にみごとに形容されている。その楽しい一時、ふと作者の視野に映ったのが、連なって飛んでゆく渡り鳥であった。 ( 克巳 )
昭和21年作。句集『瘤』所収。
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さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝
http://meiku.exblog.jp/22050694/
2014-05-15T20:40:00+09:00
2015-02-12T20:26:59+09:00
2014-05-15T20:40:42+09:00
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夏の句
≪ さみだれのあまだればかりうきみどう ≫
季題は〈さみだれ〉で夏。(五月雨)と書き、旧暦の五月に降る長雨だから、現代でいう梅雨にあたる。梅雨は時節を表わす語だが、五月雨は、降っている雨そのものをいう。
何故ひらがな表記してあるのかを先ず考えてみたい。「さみだれ」「あまだれ」の呼応はいうまでもなく、この句の中七までは、ア行の音と、ラ行の音に満ちている。声に出して誦してみると、雨粒と雨だれの雫が見えてくる。「五月雨」という概念よりも、「さみだれ」という響きを楽しむのが、この句の味わい方なのだろう。
浮御堂は、近江八景の一つの堅田の、湖中につき出た堂。樋がないので雨だれが直接湖水に落ちる。夥しい雨だれの音に囲まれている堂は、即ち作者でもある。その他の音は耳に入らず、その他の物も目に入らぬ世界。実際、浮御堂に立つと、湖の不思議な静けさと茫洋たる景に取り囲まれ、心が洗われる思いがする。 ( 和子 )
芭蕉の「堅田の十六夜之弁」に元禄4年仲秋に浮御堂で月を賞でた記事が見え、
鎖明て月さし入よ浮御堂 はせを
の句がある。浮御堂は海門山満月寺と称し恵信僧都の建立と伝え、堂内に千体仏を祀る。芭蕉の句はとざされている浮御堂の扉を押しあけて、折からの満月の光で堂内の千体仏を輝かしめよというような意である。
芭蕉が仲秋の名月なら青畝は五月雨、片や浮御堂の四辺の風景が月光に照らされて明らかであるのに対し、こちらは雨にとざされて何も見えない状態。青畝は自注で、去来の〈湖の水まさりけり五月雨)に少しでも及びたいと思ったところからこの句を発想したとあるが、私はむしろ、青畝はひそかに芭蕉の浮御堂の句に双びたつことを念願していたのではないかと考える。 ( 克巳 )
大正12年作。『万両』所収。
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青天に音を消したる雪崩かな 京極杞陽
http://meiku.exblog.jp/21817911/
2014-04-17T20:25:00+09:00
2014-04-17T20:25:55+09:00
2014-04-17T20:25:55+09:00
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春の句
《 せいてんにおとをけしたるなだれかな 》
季題は〈雪崩〉で春。作者の眼前には純白の雪におおわれた山塊が立ちふさがるように聳えている。音の全くない静かな時が流れるーーー。突然、白銀の一角が剥がれるように崩れると、大音響とともに厖大な雪の塊が、白煙を上げて谷を目がけて殺到する。
まるでスローモーションの画面を見ているようだ。雪が雪を誘い、岩をまき込んでゆくその音は、やがて青い澄み切った空に吸収されるように消え去り、雪面に大きく抉ったような傷跡を残しながら、再び山塊は前よりもいっそう深い静寂につつまれるのである。
この句は、雪崩という自然現象を、青と白の二色を用いて単純化して描いている。青と白のコントラストは、静と動、静寂と大音響という対立をも暗示しているのである。無駄な言葉を一切用いずにすっきりと表現されているが、この句は、あるいは題詠の句かもしれない。 ( 克巳 )
この句、私には初めから終りまで音が聞こえてこない。音が届かないほど遠くか、あるいはガラス戸越しか、ともかく全く音のない世界で、雪崩の一部始終を見届けた句として印象した。
「音を消したる」は、今まで轟きわたっていた音を消したという意にも取れるが、音というものを全く消した雪崩、とも取れよう。「たり」は動作の完了でもあるが、状態の存続でもある。
すると、それほどの遠景となるので「青天」が広がってくる。雪煙も見えてくる。それでいて作者にも読者にも、何ら危険は迫らないのだ。 ( 和子 )
昭和12年作。句集『くくたち』(上)所収。
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雪解川名山けづる響かな 前田普羅
http://meiku.exblog.jp/21522079/
2014-03-06T20:14:43+09:00
2014-03-06T20:14:21+09:00
2014-03-06T20:14:21+09:00
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春の句
〈 ゆきげがわめいざんけずるひびきかな 〉
季題は〈雪解川〉で春。「雪解川」「名山」そして「響き」と、重厚なひびきをもった名詞が連なる、格調の高い一句である。「名山」は名高い山ということで、特定する必要がないので漠然とこのように言い放ったのだ。一冬かけて山国に積もった雪が、解けはじめる春先は、山々にとってまた新しい季節の到来でもある。
山肌を深々とえぐって流れ落ちる雪解川の水量にははかり知れないエネルギーが秘められている。そのような莫大な質量に対し、決してひけを取らない普羅の作句に対する姿勢というものが感じられる一句である。 ( 克巳 )
この句はまさに簡素にして雄勁といえよう。「名山」の呼称がいい。読み手はそれぞれの心の中に浮かぶ堂々たる名山を特定すればよい。身をけずって流す雪解の水は、年々その容貌を厳しく、近寄り難いものにするに違いない。この句を見ていると、名山の相は、一日にして成るものではないことに思い至る。
普羅は「地貌」というものに非常な興味を抱いていて、それは「地球自らの収縮と爆発と、計るべからざる永い時てふ力もて削られ、砕かれ、又沈澱集積されたる姿である」ととらえていた。この句にはそうした眼力が感じられる。 ( 和子 )
大正4年作。『新訂普羅句集』所収。
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年忘れ老は淋しく笑まひをり 高浜虚子
http://meiku.exblog.jp/21067474/
2013-12-11T20:57:00+09:00
2013-12-11T20:59:37+09:00
2013-12-11T20:57:00+09:00
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冬の句
《 としわすれろうはさみしくえまいおり 》
季題は〈年忘れ〉で冬。忘年会の席上、少し酒が入ってくると座もだんだんにぎやかになる。宴会は盛り上がってゆく。はずんだ空気の中で、この句の老人は、酒を飲むでもなく話に加わるでもなく、にこやかな笑顔を作って座っている。
静かに微笑みをたたえて座っている老の淋しさは誰にも理解できはしない。老年というものの本質をこれほど静かに、さりげなく穿った虚子の深いまなざしに脱帽せざるを得ない。 ( 克巳 )
虚子が提唱した「花鳥諷詠」とは自然諷詠のことだと、偏狭なのみこみをする向きがあるようだが、この言葉は、人間存在も自然界の一部と包みこんでいた信念であることを忘れてはならない。虚子ほど人間の諸相を詠んだ俳人もまた少ないのである。ほんの一例だが、
手を出せばすぐに引かれて秋の蝶 虚子
羽子板を口にあてつゝ人を呼ぶ
これよりは恋や事業や水温む
髪洗ふまなくひまなくある身かな
襟巻の狐の顔は別にあり
いたいけな幼児から娘盛り、社会に出るころ、子育て真っ只中の若い母親、気取った婦人・・・・・。それぞれの人間が虚子の作の中でなんといきいきと生きていることか。 ( 和子 )
昭和14年作。『自選虚子句集』所収。
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翠黛の時雨いよいよはなやかに 高野素十
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2013-11-19T18:03:36+09:00
2013-11-19T18:03:51+09:00
2013-11-19T18:03:51+09:00
chi-in
冬の句
《 すいたいのしぐれいよいよはなやかに 》
季題は〈時雨〉で初冬。この語を私は長いこと通り雨と同意に解していたが、関西に移り住んで、どこからでも低い山々を望む風土に親しむことにより、その本意を見知った思いがした。殊に京都の北山の時雨など、青空が上空に見えているのに、山にかかる雲が雨を降らし、日当たりながらきらきらと注ぐ。まさに「はなやか」の一語に尽きるのである。
「翠黛」は本来みどりのまゆずみ。転じてみどりに霞む山の端のカーブをもいう。『平家物語』の大原御幸のくだりには、寂光院の周辺を描いて「緑羅の垣、翠黛の山、絵にかくとも筆も及び難し」とある。これによって後世、寺の谷あいの林を緑羅の垣と称し、向かいの山を翠黛山と呼ぶようになった。
この句を鑑賞する上で、背景を寂光院の辺りとすることは、「寂光院」という前書からも、時雨という季題の本意からも、叶っていよう。 ( 和子 )
『平家物語』の哀話で知られる建礼門院徳子が庵を結んだのが寂光院であるが、実は現在知られている寂光院は後になって営まれたものであると土地の俳人に教えられた。その近くにある本来の寂光院の跡という場所を案内されたのだが、かろうじて、庵のあとと知られるほどで、草木が生い茂るばかりであった。しかし、そのあたりの山々や谷や田んぼのありさまは、『平家物語』の昔をしのばせるに十分であった。
『時雨』という季題を「はなやかに」というとらえ方をしたところに、この句の魅力がある。勿論、寂光院あたりの小径からの眺めである。時雨の雨が降りまさるのと同時に日差があたりを明るく照らし出す。きらきらと光る雨の糸。明と暗の美しい対比が自ずと一幅の絵巻の世界を現出する。 ( 克巳 )
昭和2年作。『初鴉』所収。
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