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子にうつす故里なまり衣被   石橋秀野


 《こにうつすふるさとなまりきぬかつぎ》



 季題は〈衣被〉で秋。里芋を皮ごと茹でる素朴な料理だが、武骨な皮からつるりと
滑り出る芋の肌は、幼な児も喜ぶ。長女安見子が、そろそろ片言を口にしはじめた頃
だろう。
 秀野の故郷は奈良県山辺郡二階堂村、現在の天理市である。小学校卒業後、父に従
って上京しているから、東京の言葉にもなじんでいたと思われる。しかし、我が子に
語りかける時、自らの幼い頃、母に口うつしで教えられた言葉が出てくるのは、いた
って自然なことだ。母親は例外なく我が子に母国語で語りかけると、国際結婚した友
人に聞いたことがある。
 母親の愛情と共に注がれた言葉を聞き覚えて、人は育つ。そして自分が母親になっ
た時、ごく自然にあふれてくる言葉が「故里なまり」であったという自覚は、母から
子へとつながっている血脈の証である。我が子が自分の故里の言葉を口にする時、母
の喜びははかり知れない。〈和子〉



 山辺の道を歩いたことがある。奈良県一帯の土地訛りはどのようなものなのだろう。関西の言葉というだけで私には何か懐かしさが感じられる。 
〈ふるさとの訛なつかし/停車場の人混みの中に/そを聞きに行く〉とは石川啄木の
歌であるが、偽らざる真情であろう。
 確かに母国語は母乳のようなものだ。ごく自然に人は母の国の言葉になじむ。国と国ではなく、国の中のある地域に限ってみても同じようなことはいえる。
 衣被とはまた懐かしい食べ物である。子供のころ、剥くたびにつるりと転げ落ちて、なかなかうまく口にとらえられなかったことを、いまさらながら思い出すのである。まさにふるさとの訛りのごとき懐かしき季題といえよう。〈克巳〉
 

   昭和十八年作。『桜濃く』所収。
by chi-in | 2008-10-06 16:41 | 秋の句
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