元日や手を洗ひをる夕ごころ   芥川龍之介

 季題は<元日>。「夕ごころ」とは、夕方だなあと思う心ぐらいのことだが、何と実感にあふれたしみじみとした語であろう。日本人にとって元日は特別の日。朝から初日の出を拝み、屠蘇を祝い、雑煮膳を囲み、賀状に目を通す。身辺に子供があれば凧上げや羽子つきをする。現代ならトランプや様々なゲームなのであろうか。

 そんないつもと違う一日も日暮れに近づいた時の、少しものに飽いたような、何とはなしに淋しい実感が、さりげなく叙べられている。それは「手を洗ひをる」という、何でもない動作を通して表わされているからだ。この一日も暮れてゆく、というしみじみとした実感は、元旦という特別な日の無聊がもたらす感慨とでもいおうか。誰にも心当たりのある情景である。 <和子>



 俳句に遊んでいる時の芥川にはたとえば『夕鶴』のおつうのように心身をすり減らしながら創るという姿勢よりも、むしろよい意味で俳句にあそぶという余裕すら感じられる。

元日の一日が何事もなく過ぎてゆき、やがて夕方に近い頃、作者は厠にでも立ったのであろう。そして手洗いの水を使いながらどこを見るともなくあたりを眺めているのである。

この時の龍之介の心は、まさに「夕ごころ」としか表現しようがないではないか。それはハレの日におけるとある平常心とでもいおうか。ある種の充足が感じられる一時なのである <克巳>
   大正十年作。『澄江堂句集』所収。
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by chi-in | 2007-01-21 01:19 | 新年の句
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