芋の露連山影を正しうす   飯田蛇笏

季題は<露>で秋。<芋>も秋の季題で、その傍題として<芋の露>の語を掲げる歳時記もある。芋の葉に置く、あの大粒の露である。秋の早朝、芋畑から望む連山の姿は、自ら影を正しくしているようだ。

「影」という日本語にはさまざまの意味がある。光によって翳った部分をさすこともあるし、「人影」のように姿そのものをいう場合もある。また、光そのものを意味する例として「月影」「星影」などがある。

この句の場合は、連山の姿かたちそのものが先ず思い浮かべられるが、大きな澄んだ芋の露を想像すると、そこに映っている投影をも見る思いがしてくる。連山は遠景には違いないが芋の葉に凝った一粒の露は、澄明な朝の天地をすべて映しているのではあるまいか。その中に連山の影もある。

このようにして読むと、はかない露の一粒に、限りなく大きく広い世界が投影されている様が見えてきて楽しい。 <和子>



この句は、近景として芋畑のその中の一枚の葉に置いた白露が、そして、遠景には青黒くくっきりと稜線を連ねた山々が描かれている。普通、近景をはっきりさせれば遠景は自然とぼけてくるのだが、この句では遠景もまたシャープに描かれている。秋の大気が澄み切っているためである。

「正しうす」という語感には、山並をただの風景の一部としてだけでなく、自身をもひっくるめた共同体の一部として認識している作者の思いが感じられる。
大正3年作。 <克巳>
               『山廬集』所収。
[PR]
by chi-in | 2005-10-15 00:00 | 秋の句
<< つはぶきはだんまりの花嫌ひな花... 秋風や模様のちがふ皿二つ   ... >>