季題は<ラグビー>で冬。ラグビーの激しいぶつかり合いでつくった頬傷をそのままに、少年はいつものように海にやってきた。海を見ていると何か知らず充たされるのを感じるのである。熱を帯びた頬の傷に、冷たい海風がむしろここちよい。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり という有名な歌が寺山にあるが、「海」は彼の詩歌において重要なキーワードとも考えられるのである。 この句は十代、つまり昭和20年代の作品であり、彼の十代の短歌、詩、小品などをまとめて一本とした最初の作品集『われに五月を』に収められている。不治の難病とされるネフローゼため明日をも知れなかった寺山のために、友人の中井英夫のはからいで出版した作品集だが、寺山はその後奇跡の回復をした。 <克巳> 頬のほてりとは、心の昂揚を肉体で具体的に表現したもの。すでに石川啄木の作に、 やはらかに積もれる雪に/熱る頬を埋むるごとき/恋してみたし の歌があり、寺山修司にもこれを下敷きとしたと思われる作品が、初期歌篇に見られる。 森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし 少年時代、文庫本の『石川啄木歌集』をポケットに入れて川のほとりを散策したものだったと、自らも語っている。 こうして見ると、少年期の鬱勃たる精神と肉体のほてりが伝わってくるようだ。しかもこの句は単に頬がほてるのではなく、頬の傷が熱をもっているのである。少年がヒロイックな自己陶酔を覚えるのは、こうした折であろう。<和子>
by chi-in
| 2006-01-15 12:00
| 冬の句
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