桐一葉日当たりながら落ちにけり     高浜虚子



  《 きりひとはひあたりながらおちにけり 》



 季題は〈桐一葉〉で秋。「一葉が落ちて天下の秋を知るという語は『准南子』にある。初秋、大きな桐の葉が風もなくバサリと音を立てて落ちるのをいふのである」(虚子編『新歳時記』)。

 同じ日当る景であるが、前句の大景と異なり、たった一枚の桐の落葉に当る日射である。しかもその葉が枝を離れて地に着くまでの数秒間に、裏に表に日当る様を丁寧に、スローモーションの映像のように、クローズアップして描いた句。落下はあくまでも静かでゆるやかで、空気は殆ど動かない。中七から下五へかけての悠長な調べは、それを表わしているのである。

 こういう句は、何がどうしたという内容の重みは全くない。しかし季題の本質を過不足なく言いとめ、印象の鮮やかな点、決して軽い句ではない。   ( 和子 )



 実際はほんの一、二秒の間の出来事であるけれど、この一句が何故か「永遠性」というものを読者に感じさせるのは、桐一葉という季題そのものがもつ象徴性のしからしむるところであろう。

 永遠の時空を貫いて落ちる一葉の桐の落葉。虚子の句が読者の心を打つ大きな理由として、この象徴性ということがある。単純に自然現象を写生しているようで(客観写生)、実はこの奥処にある本質に迫っているということなのである。   ( 克巳 )


 明治40年作。『五百句』所収。
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by chi-in | 2012-09-18 20:26 | 秋の句
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