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草花にあはれ日のさす出水かな    原 石鼎



   《 くさばなにあわれひのさすでみずかな 》



 季題は〈出水〉で夏。さしもの雨風もようやくおさまり、雲間から日差さえこぼれてきた。
 
 無残にへし折られた枝々、上流から流されてきたさまざまな漂流物、そういう雑多なものが眼前に散らばっている。

 作者はそういう出水の景の中で、水から少し頭を出している小さな草花に着目した。まことに頼りなげな草花ではあるが、出水にじっと耐えて、水が引くのを一途に待っているようにも思われる。その草花に薄日がまるで恩寵のようにも差しわたっているのである。

 「あはれ」とは古い表現でありながら、むしろ我々の目に新しい。それは出水の中でふるえながら可憐に生をつないでいる草にさす日差が、真に心を動かすからである。俳句の古い新しいは、用いられている語句の古い新しいではなく、感動そのものの深浅にかかわるものである。   ( 克巳 )



 草花に日のさしている光景の中に、思わず口をついて出た語のように「あはれ」を挿入してある点がいい。心打たれた光景であることが素直に伝わってくるからだ。「あはれ」には様々な意味があって、情趣がある、なつかしい、しみじみと心ひかれる、といった古語から、現代語のかわいそう、悲しいに近い意味まで、日本語の中でも最も幅広い意を含む語のひとつである。が、根本は、ものに感動して発する声であろう。

 この一語にこめられた思いは、路傍の草花にも目を止め足を止める人にしかわからない。出水の濁流のほとりに花をあげている小草の情に心をやる人にしかわからない。俳句という文芸には、そんなところがあるのである。   ( 和子 )



  大正8年作。『花影』所収。
by chi-in | 2011-05-09 20:37 | 夏の句
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