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春浅し空また月をそだてそめ     久保田万太郎



   《 はるあさしそらまたつきをそだてそめ 》



 季題は〈春浅し〉で春。まだ風は冷たい頃の夕空にかかった三日月あたりを見て得た一句であろう。月齢に応じて月が満ちてゆく様を、空が月を育てると表現した点がポイント。

 月に一度、月は満ちてゆくのだが、この句の場合、「春浅し」が動かない。だんだんに春めいて、春らしくなってゆく空の様子が、読み手の心に浮かぶからだ。すると、その空が月を育てるという表現に、実感がともなう。単なる表現上の綾ではないのだ。

 この句は満ちつつある眼前の月を詠んではいるが、それを超えて時間的な移ろい、時空の流れを表現し得たスケールの大きな作品である。自然界の変化、生々流転のくり返しといったようなことを思わせる。この空にまた月は満ちてゆくが、それはひと月前の月と同じではない。すべてがくり返しの、万物流転の中で移ろいゆく真理を言い得た句。    ( 和子 )



 同じ天体としての月を詠んでも、万太郎の句には、いかにも万太郎らしさが出ている。芝居の舞台の背景に効果的に上っている月という趣が感じられる。しかし人生=ドラマとする考えに従えば、この月もまた万太郎演出の芝居にかかる月ということになる。

  〈 たかだかとあはれは三の酉の月 〉

という句が『流寓抄』にあるが、この月は何となく芝居じみる。万太郎の自然界のとらえ方が理解できるような気がする。

 浅春の澄みきった空に白々と浮かび上がった上弦の月。空が月を育てるという擬人表現がゆるぎないのは、万太郎の演出がなみなみならぬことの証拠でもある。   ( 克巳 )



  昭和21年作。『流寓抄』所収。
by chi-in | 2011-02-16 20:07 | 春の句
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