冬菊のまとふはおのがひかりのみ   水原秋桜子


   《 ふゆぎくのまとうはおのがひかりのみ 》 



季題は〈冬菊〉。単に〈菊〉というと秋の季題だが、冬になっても咲きつづける小菊である。旧暦九月九日の重陽の節句の後の菊を〈残菊〉と呼ぶ言い方もあるが、残菊はいかにも咲き残った淋しい花という感じがするのに対し、冬菊は凛とした趣がある。先ず〈冬菊〉の語感を味わうべきであろう。

 秋の庭には様々な草花が咲いて、賑やかな色と光があったのに、冬になると大方の草は色を失ってしまった。日々冷たくなる空気の中で、咲きつづける菊のつつましやかな香気を、「まとふはおのがひかりのみ」と描いた手際のよさ。余分な色彩の一切ない、気品のある絵の小品を見る思いがする。

 「おのがひかりのみ」は淋しさを言っているのではない。その光だけで充足し、十分に品を保っている冬菊の、内なる光の清澄なる美しさを言いとめているのである。   ( 和子 )



 作者は、時折、庭前の小菊の一輪を刈り取って、それを愛用する鶴首(つるくび)の白磁の瓶に活けたという。

 この句は、作者が自ら活けた一輪の冬菊がなさしめた作品というわけである。作者が活けた冬菊は確かに小さな花であったのだろうが、この句の冬菊の印象は何故かゆったりとした大振りのそれを感じさせるのである。玄関とか、床の間のもの暗さの中でひっそりとたたずむ一輪の白菊、この菊は白でなければなるまい。

 秋桜子の句における外光性はつとに知られるところであるが、この句のように内面から輝き出る光に心をとめていたことは特筆しなければなるまい。   ( 克巳 )



  昭和23年作。『霜林』所収。
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by chi-in | 2010-11-04 20:19 | 冬の句
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