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《 いくることようやくたのしおいのはる 》 季題は〈老の春〉で新年。「房州僑居に数へて八十歳の春を迎ふ」との前書がある。八十歳の作であることを考え合わせると、この「楽し」は前掲の「一生の楽しきころ」の楽しさとは、意味あいが違ってくるだろう。八十歳になって、ようやく生きることが楽しいといえるようになったのは、青年期や壮年期の悩みやさまざまな責任などから開放された安堵が含まれていよう。と同時に、この句の心は市を意識する年代に到ったことも無縁ではないだろう。 私はこの句に『徒然草』の一節と通いあうものを見る。「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらむや」「人皆せいを楽しまざるは死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るるなり」(九十三段) 人はとかく生と死が隣り合わせであるという自明の道理を忘れがちである。ことに若いうちは。老境に入り、この道理を実感するに至って、生きることの本当の重みと楽しさを実感した折の句ではあるまいか。 ( 和子 ) 人に聞いた話である。風生はすでに相当の年のはずである。その風生いわく、「君ね、墨を磨るのは、女陰を撫する如くだよ」と。私はその時、風生翁の年と共に艶を加えている原因が理解できたように思った。風生に具わった艶というものを象徴しているようなエピソードであると思ったのである。 風生が〈老の春)という季題をしばしば用いるのには大分忠告じみたことが仲間からも、またその伴侶からも発せられたようである。しかし、「老の春」と断言してはばからぬ老境の高さと深さが、作者にはあったことはまぎれもない事実であろう。 ( 克巳 ) 昭和39年作。『喜寿以後』所収。 《 ゆずゆしてつまとあそべるおもいかな 》 季題は〈柚子湯〉で冬。冬至の日に、柚子の実を風呂に入れて浴する習慣がある。端午の節句の菖蒲湯などと同じで、一種のみそぎの名残りともいわれる。菖蒲や柚子の香気が、身を浄め、邪気を祓うと考えられていたのだろう。 「柚子湯して」とは、柚子湯を立てて、の意。「柚子湯する」というと違和感があるが、連用形にすると不思議に気にならない。お風呂に柚子を浮かべて、妻と入ると、黄色い実がぷかぷかと浮かび、香りを放って楽しい。ただ湯に浸かっているだけなのに、妻と遊んでいるような心地がするーーというのである。 柚子湯に浸った時の、ある心躍りを、「妻とあそべるおもひ」と表現して、ややエロティックな味わいも出した句。しかも柚子の香気が全体をすがすがしいものにしている。 ( 和子 ) 文字通り解釈すれば、作者は柚子を浮かべた湯ぶねにその妻と共に入っていることになる。そして、ただ入っているだけでたわむれているような思いがするというのである。しかし、私にはどうしてもこの句から妻そのものの存在が感じられない。むしろ作者は一人で柚子湯に入っている、と取った方が自然である。目の前に浮かんでいる柚子をつまみ上げたり、その肌をなでたり、鼻先に近づいて来る柚子の香りを楽しんだりしている。この句の淡白なエロティシズムは、そのように解釈することでより理解が進む。 「柚子湯して」で一段落し、おもむろに「妻とあそべるおもひかな」と続くのであって、「柚子湯して妻と」「あそべるおもひ」であるというのではないだろう。 ( 克巳 ) 昭和29年作。句集『含羞』所収。 《 ついてくるそのあしおともおちばふむ 》 季題は〈落葉〉で冬。第4句集『系譜』の歳月の間に、作者は富安風生を失い、その結果として「若葉」の主宰を継承した。このことによって、作者が虚子、風生から受け継いだ花鳥風詠と客観写生という作句信条を、いっそう明確にする必要が生じたということになる。 落葉を踏みつつ歩きながら、作者は自らの足音にじっと聴き入っている。自分の跡に従って来る者もまた同じように落葉を踏む音をたてている。師から引き継いだ俳句を、更新の者たちに伝えてゆかねばならぬ、という思いは、彼の背を見つつ歩く者にも強く伝わってくるのである。 この一句を『系譜』という作品集の掉尾に置いた作者の思いは深い。 ( 克巳 ) 創作とは本来、孤独なものだ。俳句は「連衆の文芸」とか「座の文芸」といわれ、句座を共にする仲間に支えられている部分が大きいが、それは享受する形態がそうなのであって、いわゆる共同製作ではない。たとえ吟行を共にしていても、あくまでも作品は一人一人が心のうちで作り出してゆくものだ。大勢で一緒に旅をしても、創作には「ひとり心」というものが大切だ。 私はこの句に、そうした創作者の孤独を感じる。落葉を踏んで歩む作者自身の孤独感を表わしているのが、落葉踏む音である。そして、後ろから蹝いて来る者の孤独感をも感じとっている。 声をかけるでもなく、励ますでも慰めるでもない。隣り合う孤独といったような、心の響き合いを感じるのが、創作の道を選んだ師弟関係ではなかろうか。私もまた、師のあとを蹝いて落葉を踏んで歩む一人である。 ( 和子 ) 昭和59年作。句集『系譜』所収。
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